ベーシックインカム(追記)
山森亮さん(2009)の書評を書きました。
その最後段落に「よく分からなさ」で文を閉じてしまったことが、けっこう心残りになっていました。
(うまく理解も、そして平易にも伝えられなかったです笑)
なので、今日はもう少し本書の訴えを具体的に足したいと思います。
見返してみて、彼にとってのベーシックインカムは、社会的に「見えない」弱者を保障の対象にしていることなのだと思いました。
これは、政治的な合意が容易か否かといった観点で進められるものではなく、感情的にあるいは正義のために「すべき」ということです。
それは、一般的な労働そのものに難しい人々に限定したもので、「生存に精一杯な人々」を指しているのです。
だから、非正規雇用であれ、ワーキングプアであれ、労働可能な範囲には「積極的ではない」可能性を含みます。
このことから何が言えるのでしょう。どうやらベーシックインカムは、労働市場から抜け落ちる対象に対して、劇的に変化させる効果は見込んでいません。
(まだオランダやフィンランドなどで実験中なので分かりませんが、、、。)
また、再雇用の可能性を高めるわけではないということが理解されます。
山森さん(2017)のコメントによると、
(AIによる雇用を奪われるのでは?という質問に対して)
失業者はある程度増えるだろうと考えられます。そうなると、今ですら生活保護の対象者の選別は難しい状況なのに、失業者が増えたときに果たして運営可能なのかという疑問があります。生活に困窮している人が偏見を受けることなく、安心して暮らせるような社会にしなければいけません。
つまり、このことから
の楽観的な移行シナリオが用意されています。
しかし、実際に失業者が増える、質的に非正規雇用という層でありながら、そのようなレベルにまで「積極的に」分配すると政府の側は失業率をもはや、手放す事態になってしまいます。政治的な不安定を容認しているようなものです。それは、かなり危惧だと思います。むしろ現実的には、一定層の支持を保つよう働きかけをすると考えられます。
そして、ベーシックインカムが安心して彼らの活動の幅を提供できるかについて、早計だと感じました。ベーシックインカムは解決の一部で、冒頭のように給付対象をフォーカスするのならば、それは効果なしに正しいでしょう。
しかしながら、ベーシックインカムの平等性(万人)がいくら正しいとされても、それ自体に「安心」ないし「選択の多様化」は保障しないと思いました。
批判的な視点から整理すると、ベーシックインカムの立場は平等性の観点で一部の対象を救いつつ、それを徐々にレベルを拡張するという立場になるのではないでしょうか。
しかし、余りにもレベルの設定が容易ではなく、労働市場から抜け落ちた人々をレベルに区分けさせることなど出来るのでしょうか。その時の政府の態度は「保留」あるいは「限定的縮小」、「局所的拡大(選別的投資)」に帰するのかもしれません。
さて、このようにベーシックインカムはメリットとデメリットが存在しているのが分かります。私はこの「よく分からなさ」において、ベーシックインカムが万人の救済たりえない、ということを今回で理解しました。
ただし、「ベーシックインカム」から「ミニマムな公正」を求めることが部分的に可能だったのです。
このへんで終わりたいと思います。ちょっと解釈があって、誤りがあるかと思われますが、自分の中で見取図はとれたかなって感じです。
多少ほかの参考にしていた文献が有りますが、ここでは挙げてません。なにか興味に触れる項目があったら、是非調べてみてください。