itoh-imaginary0205のブログ

ゆかしい雑記物。はたまた備忘録。

民進党の選択

 

衆院選:民進党の前原誠司代表が無所属で出馬へ - 毎日新聞

 

ここで離党とは驚きです。

民進党代表の前原氏が「無所属」で出馬すると表明しました。

しかも党の顔である代表がそうなるのですから、混乱必至だと思います。

希望の党の期待にあやかるようになったと思いますが、これからどうなるのでしょう。

驚きを与える効果、それと希望の党が政界を、

自民党」対「反(安倍)自民党

という二択の対抗で有権者に分かりやすくした点は、評価できるとおもいます。

ニュースでは、小泉の劇場型政治の再来と言われてます。

 

それにしても、民進党はこれからどうなるのでしょうか。イデオロギーの面ではリベラルなので、中道右派層の希望の党には齟齬がありそうです。

また、支持母体の面では、代表の離脱(解党?)で労働組合系の組織票が割れる可能性があります。

 

【単刀直言】連合・神津里季生会長 風頼みの民進党離党者「許せんなと思いますね」 - 産経ニュース

 

組織票に頼る民進党の看板議員もいるでしょうし、そうした方に不満が残りそうです。

 

それでも、有権者は何を軸に投票しようかますます迷うと思います。

例え、小池百合子氏個人の絶対的な人気だろうと、私は単純にそれだけで良くなるのか不安です。

 

マニフェスト??

 

 

北朝鮮問題に緊張が走るなか、安倍首相の衆議院解散が決まったようです。

前回の参院選では野党を引き離して、単独過半数議席を獲得しました。

 

与党大勝、改選過半数…改憲派3分の2超す : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 

新党の結成で、さまさまな党から離脱が相次ぎ、ニュースでも報道されています。ですが、今回も参院選同様、与党である自民党が圧倒的な勝利を飾るのでしょうか。

 

選挙とは、代議士(政治家)を選出する、とりわけ帰属政党の信頼を考量して、間接的に代表を選ぶことです。議院内閣制をとる日本の首相は、衆議院の指名を経て選ばれます。そのため、委任-責任の原則が議会-内閣と対応していることになります。

 

 そこで、前回の参議院選挙と衆議院選挙との1番の違いは

マニフェスト(政権公約)の重さ」

                                だと考えられます。

参議院は首相指名の効力を持たず、議院内閣制の影響力に及びません。

(⚠︎制度の観点だけなので、必ずしも正確ではありませんが…)

今回は衆議院の選挙、つまり首相の指名を見据えた選挙です。

より次期首相が考える政策課題や党の信頼性を少しでも分かりやすく、自明にする必要があるのです。

 

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6255064

 

上の記事を見ると、マニフェストに官邸主導と党内の合意が間に合わないことが伺えます。

この調整に先行きがないとすれば、政党を選択する私達にとって、マニフェストとは、いったい何のメリットがあるのでしょうか。

有権者に向けての公の約束ですから、過去の公約の評価と修正を踏まえたものであってほしいと思います。

 

(補足)

かつての旧民主党マニフェストを振り返ると、非常に改革を求められました。他方で、約束の具体化により厳格になりました。そのせいで社会情勢に応じた修正が硬直的になって、党内と内閣は不安定でした。

このことの教訓で、マニフェストはしっかり組まなくてはならない、と同時に余白を残す必要もあるとされています。

ただ、ふつうに考えて余白がありすぎるのも問題です。

 

 

最後に、政権担当能力に長けた政党をと私は期待したいです。ですが、本音ではそのような政党ははたして自民党以外に有るのかどうか。人数や構造、経験などが必要なはずで、ついつい新党の台頭で何とも言えない不安を感じます。

官邸主導が強化されているのも、政党の弱さにあるのではないでしょうか。

そもそも、日本のマニフェスト導入に失敗しているのかも知れませんが、これは後の祭りでしょうかね。

 

 

【備考】

5年前と古いですが、以下が参考になります。マニフェストの本場イギリスと日本の旧民主党政権を比較をしているので分かりやすいです。

 

 

政権交代とは何だったのか (岩波新書)

政権交代とは何だったのか (岩波新書)

 

 

 

 

 

 

 

豊田議員の謝罪会見について

「ハゲ!」でお馴染みになった議員さん。彼女は秘書に対してこうした暴言が色々あったようです。

会見はyoutube で端折りながらみましたが、彼女はどうして「自己弁護」を混ぜて話すのでしょうかと疑問が残りました。

記者団に「政治家の資質はあるか、なしか?」と問われ、

「今回の一件はダメなこと。猛省している。過去は変えられないが、(私の議員として活動に)未来はある。」

と応えています。

たしかに、性格に難があるから政治家に向いていない。という理屈は少々、論理が飛躍しています。テープに記録された暴言は、いっときの興奮に過ぎないのかもしれません。彼女は、大学や院の過去を持ち出して、自分が偉いと思ったことはあまりないことや、それより周りを尊敬していたと述べています。エリートの劣等感情や謙虚さには多少、同情します。

ですが、それでも会見全体で考えると大人な対応とは思えませんでした。メディアに映った政治家であれば、その一件にのみ説明責任を果たすべきなのではないでしょうか。

民意が(議員をやめろと)そう思うのであればという諦め、ないし地元住民の方達の支えあっての私、こうした発言は、繰り返しになると、身内びいきにしか聞こえなくなります。

むしろメディアに露出すると存在感が増して、良くも悪くも選挙アピールに関わってきます。頭を下げたりするのも少なかったような気もします。(端折ったのでよく分かりませんが…)

政治家ならもっと毅然としてほしい、私には、そんなおよそ似つかわしくない願望があるのかもしれません。ですが、私は全体的に柔だったと思いました。

 

みなさんはどう思いましたか?

言葉のリバイバル (再上映)

言葉には不思議な作用をもっている。

あることがら(出来事)を示す時に「機械」に由来する言葉に頼ることがある。

それも聞く人から不思議と納得させられるように、もしくは、視界が開けるように感じるのである。

例えば、

遺伝子の「二重らせん構造」とは?

 

1,ヒトのDNAの生細胞中でとっている立体構造。(wikiより)

2,2対の「セキュリティ」構造。

 

1は状態の説明。2は機能の説明。

だが、2の記述によると、隠された「主体」が想起される。

誰がセキュリティとして活用するのか言葉に表していないにも関わらず、不思議とそうなんだ、と感じるのである。

機械的にして、神秘の技かのようである。

本当なのだろうかと知的関心を高める方向にも、もってこいの活用法である。

 

不可解な出来事に遭遇すると、この世の中の原理では適切に説明できないこともある。あるいは「まだ」見つかっていない原理がそれを可能にするかもしれない。「もう」見つかっているのに、誰もが忘れ去っているかもしれない。人がいるかぎり、言葉は尽くされ、再び世に出し、生まれ落ちる。

 

言葉のリバイバルを大切にしたい。

 

 

 

 

 

 

常識を疑うと信じる

常識はありとあらゆるところに

浮かんでは消えて、また浮かぶ

私たちのものさしだ

これがないひとはいない

「常識人」という言葉は

かぎりなく平坦だ

快いものでも不快もではない

でも、凝縮された快や不快ではない

常識が崩れたら

凝縮された快と不快を覚える

一瞬の背徳感

そのうちまた消えるのなら