itoh-imaginary0205のブログ

ゆかしい雑記物。はたまた備忘録。

”西郷どん”を迎えて

 

今年最後の大晦日に更新します。記事を見てくれた方も、リアルの関係した方々も、今年1年間、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

 

今日は、来年の大河ドラマと絡んだ話を少ししたいと思います。林真理子が原作の大河ドラマが始まります。題名は”西郷どん”。幕末から明治の激動を見たい方に、とてもお勧めします。きっと、面白い展開になりそうと、私は想像しています。

NHK大河ドラマ『西郷どん』

 

言わずもがな、明治の時代を作った立役者のひとりです。単に明治の英傑と捉えるのもありますが、それだけではない複雑な顔を持っているでしょう。

 

大河ドラマから考えるに、西郷隆盛の生涯で、もっとも重要なキーワードは「愛」だと考えられます。

 

素顔は、脇は甘く、愚直でうかつ。彼に出会ったものは皆、西郷が好きになり、愛嬌あふれる男の周りには、いつも“笑いと愛と波乱”が満ちていた。
「すべての民が幸せに暮らしてこそ日本国は強くなる」と信じ、人を愛し、故郷を愛し、国を愛し、民を愛し・・・“見返りを求めない愛”を与え続けた男を、人は親しみを込めて、『西郷どん(セゴドン)』と呼んだ。

(NHK「ものがたり」より一部抜粋。)

 

 不思議なのは、西郷は騒乱の幕末を生き抜いたはずなのに、明治に入ってから「内乱」によって無惨に死んでいるということです。

 この国を愛するという志が、一方で、西南戦争という明治政府に対する「最後の」挑戦を起こすわけです。

時の福沢諭吉は、明治10年『丁丑公論』で、西郷の在り方を擁護します。西郷は、国家に反する賊(此頃の新聞ではそのような形で報道していた。)ではなく、独立した抵抗の精神であったと評価するのです。国家全体を覆す行為に捉えず、部分的にも国家に利する行為ではなかったのか、と問うのです。

福沢のいう抵抗とは、専制に対する抵抗であり、彼にとって重要だった点は、憂国の士を想うことです。

「抵抗の法一様ならず。或は文を以てし、或いは武を以てし、また或は金を以てする者あり。今、西郷氏は政府に抗するに武力を用いたる者にて、余輩の考とは少しく趣を殊にするところあれども、結局その精神に至ては間然すべきものなし。(丁丑公論緒言)」

 

「西郷は智力と腕力の中間に挟まり、その心事、つねに決せずしてついに腕力に制せられたる者というべし」むしろ、バランスに優れた、透徹した眼を備えていたのです。

 

有名な一節もここで引用します。

 

「西郷は天下の人物なり。日本狭しといえども、国法厳なりといえども、豈一人を容るる余地なからんや。日本は一日の日本に非ず、国法は万代の国法に非ず、他日この人物を用るの時あるべきなり。これをまた惜しむべし。」

 

愛される存在は、つねに嫌われることも考慮して、もっぱら恐れることはないでしょう。

西郷隆盛は、本当に福沢の言う憂国かつ愛国の士でありえたか」は議論を呼ぶかもしれませんが、こういう精神的な魅力は、当時の人々にも惹きつけてやまなかったといえましょう。

 

というわけで、西郷隆盛の最近出た新書をここでピン📌に止めて終わりたいと思います。来年もまたぼちぼち、知的な刺激を与えられるよう頑張っていきます。

(あと数時間ですが、良いお年を過ごせられますように(^^) )

 

 

 

西郷隆盛――手紙で読むその実像 (ちくま新書)

西郷隆盛――手紙で読むその実像 (ちくま新書)