私たちの「匂い」はいつまで続いていくのか。
はじめのブログから1週間ほど経ちました。
なかなか書く内容がついぞ見当たらなくて困りますね。まぁ、性格的に向いてないのかもしれません。それでも今日だけでも、(明日だけでも?)散文を投稿します。
数年前の回想〜現在
私が大都市「東京」にはじめて足を踏み入れたとき、あれはたしか銀座の通りでした。深い夜の繁華街です。
ショーウィンドウの灯りが豪華絢爛で、目がくらくらするほどに美しいと感じていました。いまだにその感動は残っています。周りの歩く方達でさえお洒落に身をまとい、ひとしきり綺麗でした。
こういうのは、目にはとても幸せだと思っても、私の鼻はいっこうに幸せではありませんでした。
お店の裏の換気扇、その下にうずくまるホームレスなおじいさん。路に唾を吐き捨てる若い方。密集のはての、よどんだ空気。いくら表が綺麗でも、悪臭や排気の匂いが漏れ出て、鼻につきまといます。
この衝撃の方が強く、私にとっての東京は汚らしさのシンボルと思うようになりました。
それでもいくらか面白いことも発見することになります。それは目に疲れがくるように、鼻にもいずれ疲れがくるということです。
同じところにとどまっていれば必ず疲れはやってくる。それは家の生活臭だったり、森の神秘的な匂い。古臭い本の匂い。蚊取り線香の匂い…だったり反動が迎えにくる。
必ず慣れ親しんだ匂いの元へいちど帰るのです、と。
(現在)
「香水」とは、こうした中でも少し特異な存在といえます。自分の肉体が放つ匂いを加工して、相手の鼻を疲れさせ、空気を誘い出します。歌手の『perfume』は、歌声やメロディを機械で加工して、刺激的な香水を振りまいています。
(個人的にはあまり聴かないジャンルなので、歌手名の由来などについて詳しく分かりません……調べてみると面白いかも。
うん。やっぱり『きゃりーぱみゅぱみゅ』の方かな。疲れやすさNo. 1!…)
こうやって”加工”、”疲れさせ”と書くとなにやら危機感を与えている風にも思えますね。
(↓以下、本の紹介)
私が今読んでいる小説『パヒューム』はそんな危機感、何の匂いのしない男による匂いの一方的「支配」をしきりに感じさせます。
主人公の彼には、慣れ親しんだ匂いなどありはしないのです。そもそも匂いを持っていないのですから。ものすごく独善的な人物です。それにくわえ害虫のように生命力が強い。
そんな彼に対して、危機感と同時に疲れ知らずのカリスマ性を感じざるを得ません。
目や口は、反射的に閉じることは出来ます。
ですが鼻とは、万人が万人に晒される「ハダカの生きもの」ですからね。
たとえ、手でつまんだって漏れてきます。なんでも、疲れがきます。思わぬ衝突を招くかもしれません。
以上。まだ最後まで読んでいませんが、これから読んで感想をかけたら、書こうと思います。