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"Memento” (2000)不確かな記憶の断片

 

こんにちは。今日も映画の感想です。映画「メメント」は知る人は知っている作品です。難解中の難解さゆえ、記事にしようか迷いました。

また、ほとんど語り尽くされている気もします。とりわけ、以下の記事(サイト)が極限まで考えつくされた良い例です。ここでは、パッケージに描かれるようなあらすじを超えたストーリーラインを展開している点で、非常に興味深いものとなっています。題の意味まで踏み込んだ内容もあるので、オススメします。

 

メメント 時系列順のあらすじ | :映画のあらすじと詳しい解説、批評 

 

上の記事で言及されていない部分を書ければ良いなと思って、感想を書いていきたいと思います。また、より忠実な解釈を求めるようにしたいと考えたりしています。

一応ここで、あらすじを紹介します。

ある日、自宅に押し入った何者かに妻を強姦、殺害されます。主人公・レナードは現場にいた犯人の1人を射殺するも、犯人の仲間に突き飛ばされ、その外傷で記憶が10分間しか保たない前向性健忘となります。

その後、探偵業と名乗って妻を殺害された復讐のために犯人探しを始めます。

覚えておくべきことをメモすることによって、自身のハンデを克服し、復讐を実現しようとします。出会った人物や訪れた場所はポラロイドカメラで撮影し、写真にはメモを書き添え、重要なことは自身に刺青として彫り込むようにしています。しかし、全てがレナード1人の目的と行動ではなく、その周囲にはテディという人物が絡んで映画は進んでいきます。

あらすじは以上です。

こんだけ書いといて矛盾しますが、このあらすじ自体が完全にその通りとは言えません。明確に言えば、この展開を「記憶させる」ことで、虚飾ないし嘘が少なからず紛れさせている可能性があるのです。このようなあらすじは、映画の「狙い通りの作戦」だと思ってください。

 

 

【昔の自分と今の自分】

監督のインタビュー映像を観て「昔の自分と今の自分」の連続性はあるのか?という疑問がありました。生まれた年や出生地は○○、○○の学校へ行っていた、など昔の自分はこのような「情報」「動機」を頼りに相手に伝えられます。しかし、今の自分はそれとは程遠い記憶を繋ぎながら、生活をしています。クリストファー・ノーラン監督は、この自分という時間的な記憶の隔たりを映画に表したようです。今の自分は過去の自分と共有している、そう思い込む(信じ込む)ための記憶を示したと考えられます。

レナードが持っている自分の記憶は分けて2つありました。妻の記憶とサミーの記憶です。妻のほうは、レナードの記憶によれば、「強姦されて覆われた妻と犯人を私が目撃」「殺害された妻」「妻がベッドにいる」「テーブルに座っている」「部屋の外から私を覗いている」など…

一貫して回想のように、妻を大切にしている映像が流れているかのようでした。しかし、それらは、あくまで妻を見るレナードの「記憶」なので、事実とは正確には言えないものです。さらには、「大切にしている」と信じ込んだ記憶なのではないかと、観客(私達)を思わせるのです。

 

(これがテディの最後の告白によってしか、観客は確認できない。なので、テディの告白全てを信じて良いのかどうかも、「あやふや」に思えてくる。)

 

解説を見れば分かりますが、この映画は登場人物の嘘ばかりです。嘘も方便どころの騒ぎではありません。レナードが直ぐに忘れるからといって、ここまで利用されてしまうことは観ていて悲しくも思えます。しかし、レナード自身は被害者という面だけではなく、自身の嘘が大いに関係しています。

復讐を完了したその時点で、レナードは、昔の自分の目的を今の自分が果たすことになります。劇中、ナタリーは復讐を忘れてしまうのではと問いかけます。

それでも'I've done it.'(私は復讐を果たした)とレナードは最後の最後まで言えません。ジミーを絞殺したのち、車で走らせるシーンがあります。ここで、妻と共に、左胸にその刺青を残したレナードが刹那のように映りこみます。

やったという実感や贖罪の潜在意識を、記憶の中の刺青によって、解消していたのではないかと思います。

刺青の写真を載せた映画の特典も見ましたが、やはり左胸に存在していませんでした。なおかつ、かなり曲がった解釈かもしれませんが他に2つほど、示唆するようなシーンがありました。

ひとつは、一年前の復讐を果たした写真で、左胸を指差すレナードがいました。私という意味と同時に、そこに刺青を残すであろう点で共通しています。

2つ目は、鏡の前でレナードの肉体にナタリーが指差すシーンです。ここも、やはり左胸でした。

監督インタビューによれば、やはり「レナードの視点」と「観客の視点」を合わせるようにしたと述べられています。こうすることで、レナードへの同情や彼の「思い込み」を観客もまた、「思い込み」として消化してしまいます。

レナードの視点が崩されて、初めて観客は観客に戻れるといえましょう。

 

【映画の魅力】

メメントがもつ魅力は、この私自身への記憶の問いかけに有るのではないかと思いました。レナードの視点が崩された時に、観客は観てきたものを再構成しようとします。このことは、非常にありふれています。善意の行為と思いきや、だんだん独善に変わってたりなんて…

記憶の美化はその一種の形だと思います。今の自分の視点を与えたきっかけにして、過去の自分の記憶の断片を、みずから再構成しているに過ぎないのかもしれません。

不都合な部分を隠す機能も記憶が果たせるでしょう。あくまで私が過ちと「是認」しないままにひた隠しにすることもあり、記憶は便利な代物です。対して、ストレスを緩和させるためにも必要だと言えるでしょう。

1つの白いキャンバスに例えるなら、いろいろな色に混じって、最初に描いた絵から全然違った絵が出来上がっていく感じでしょうか。自分が見ないうちに他の誰かが書き足してって、それに気づいても気づかなくても絵に跡を残したり、色を重ねていくと、もはや完全に自分の作品とは言えないところでしょうか。

 

 

 

取り留めのない話に落ちてしまったので、ここで終わりたいと思います。後半のところは、整理して伝えたい点が有ったのですが、上手くまとめられませんでした。

映画を観て「混乱」が欲しくないと思う方にはまったく勧めません笑。苦手だな、とそういう方のほうが多いとは思います。

もっと分かりやすくして下さい、ていうのが何時もながら、私の率直な思いでした。結局何が言いたいかをはっきりして欲しいし、もう当分はこの映画は観ることはないでしょう笑。