itoh-imaginary0205のブログ

ゆかしい雑記物。はたまた備忘録。

"ARRIVAL "(2016)

 

 何日か空きました。ブログのネタ探し的な要素がだいぶん反映されてますが、映画紹介、あるいは考察や刺激を与えられないものかと、わたしは考えてきました。

今回は、SF映画”ARRIVAL"(邦題『メッセージ』2017)に対する記事でその感想コメントです。見てみたい方の後押し的なのになれば大成功と思います。

しかし、ネタバレを意識して書くので、事前の情報を含め、本気で観たい人はこの記事を見ない方が適切です。この記事をきっかけに見て欲しいなっという思いもかなり有りますが…笑 あとは、特に観た後にでも…笑

 

【SFだから成立してしまった、少し難のあるインパクト】

初めに述べると、「激しくなく、人間の記憶や心を宇宙人にすり寄せた」感じです。印象ばかり求めがちですが、宇宙人は中心にいません。そのへんはやはりヒューマンドラマの域から出ていませんでした。

難のあるインパクトとは、人の時間の感覚、ひいては記憶という部分を扱っているからです。ここに興味が出るか出ないかでB級映画と言われてもそうだと思って仕方ありません。

この映画の評価について、一切ネットの情報を見ずに書いています。SF作品も手に取ることが少ない私なので、表紙で宇宙人と人間の交流を描くヒューマンドラマだろうな、というパッとしない印象を持っていました。有名なアニメ監督などが推しているという評判もあるそうで、そういった「監督の視点」では面白いことが起こるのだろうと、そこに期待しました。

あらすじは、いたってシンプルで「未知の物体が地球にやってくる。そして何を目的にやってきたのか分からないが、交渉の場が開かれているから、人はどうコンタクト、アクションを取るのか」ということです。

物語の進展の少なさから、平坦な話が続きます。ヒロインの女性言語学者の交流にも、にわかに面白みがないなぁと私は、唸ってしまいました。それでも深さを持たせるとするなら、各アクターの認識(コンタクト)がまるで違うことです。

未知に対する反応は、情報や、映画に即して言うなれば「言語」に付随する「思考様式」がひき起こすものです。(逆もしかり。)

メディアに宇宙人の凶暴な印象を持つ限り、その情報をもとにした嫌悪(フォビア)は高められていきます。

また、宇宙人の「武器の供与」が目的だと合点がいけば、中国は全面的な宣戦布告によって攻撃を正当化させていきました。

図らずもヒロインが「武器」ではなく「言葉」だと誤認を正してから、友好な解決への道が生まれることになりました。それは、映画を観れば分かるのですが、宇宙人の言語、思考の文脈を得て、彼女自身の思考様式が変容したことで活きたと考えられましょう。

 

【SFだからこそ成立する記憶の話】

記憶との関係性について、これはヒロインの「未来の記憶から現在(状態)を上書きする」行動が何を意味するかが伺えます。記憶単体は、そもそも同時的に存在するものです。

 しかし、記憶とは私たち人がいて初めて「過去にしか存在しない」条件で成立しています。だとしたら、未来の自分の記憶は存在しないし、あとで構成というのがふつうに想定できます。

この映画は、未知の宇宙人を「未来の記憶を持つ者」設定し、時間の流れ(過去→現在→未来)の連鎖を壊す「現在←未来」の逆因果の役割を果たします。それによって(ヒロイン限定ですが)いわばその人の未来の記憶と関わった他の人が、気づかないまま現在を並列化するようになったのです。これは、別の側面から言えば、ヒロインの悲劇につながります。

以上、 どうも解説的な話でしたが、ここまでしか分かりきれませんでした。

正直に言えば、「言語=武器」なんじゃないかとか、どうでもいいことも思いつつ、私にはとても難しい映画だったと思いました。そのうえ、途中で巻き戻したりして、彼女の記憶を調べる手間もありました。

はたして、この映画はインパクトというインパクトに足り得たのでしょうか。そこは観た人だけが知り得る、まさに記憶次第でしょう。

最後に一節。

「もし、未来の人生が見えるならどうする?」
「自分の気持ちをもっと相手に伝えるかな。」