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ペーシックインカムとは?《書評》

 

山森亮(2009)『ベーシックインカム入門』光文社新書

 

ベーシック・インカム入門 (光文社新書)

ベーシック・インカム入門 (光文社新書)

 

 

 

本書は2009年に、つまり8年前に刊行されています。その頃からベーシックインカムについて考えられていたのですね。新書なので、手軽に読める層に影響を与えようと企図したのでしょう。ただ、流行に支えられるので、なかなか廃れも早く訪れてしまいます。

2008年のリーマンショックの影響で、政治的に「生活保護」がやり玉として挙がった時期でもありました。

 

では、そのような背景で本書はどのようなことを伝えたかったのでしょうか。ベーシックインカムを経済学、政治哲学の思想や社会運動を包括的に取り扱ったものだ、ということは確かです。

まず、特徴として70年代にかけて世界的な社会運動が政治的な要求へ変わる経緯を叙述しています。ここで登場するのは、黒人のシングルマザーやイギリスの要求者組合、そしてイタリアの「女たちの闘い」という家事労働に対する保障から、所得保障の直接的な要求へと展開されていくものです。(第2章)

ここで一例を紹介します。イギリスのシングルマザーの福祉には、家庭を前提にした給付ルールが存在していました。それは「同棲ルール」という同居している男性がいると査察官から認められれば、給付を打ち切るというものでした。これは、行政の監視を強化して女性に対する辱めを与えるという批判があったそうです。(p90)著者によれば、「要求者」というアイデンティティを形成することにより、運動団体を避けて尊厳のある生活者を認める「ネットワーク」の役割を果たしたと判断します。

しかし、これらの運動は衰退の一途をたどります。イギリスの要求者組合は、1970年代半ばから1980年代にかけて消失していったと述べられています。(p98)女性たちの解放という意味で共通していますが、この背景にある「男性稼ぎ手モデル」を払拭できていないことにも由来します。事実、フェミニズムによる批判も連鎖的に発達するのでした。

このような展開から果たして、何を学べるでしょうか。

日本において一般的な認識に頼れば、「日本的経営」システムが崩れ、非正規雇用だったり、ワーキングプアなど、働いても生活時間が取られる状態が揃っています。労働条件を多少超えても労働者の仕方のない「能力」の問題だと捉えられるのかもしれません。

短期的な職のローテーションでは、正規としての見込みも低くなります。

他方、生活保護に対するバッシングが今もなおあり、世帯単位で補えないか「資力調査」を正当化する、簡単な論理が存在します。実際の捕捉率は現状や世界的に見ても低いにも相変わらず、と入れておきます。(第1章)

日本において、「性的役割分業」が支えられた理由は男性の稼ぎが家庭を賄えるという論理でしたが、今はどうでしょうか。

共働きが普通のように感じますし、それでも家庭を作ることのメリットを以前より感じにくいのかもしれません。

このような潮流からみれば、ベーシックに保障して欲しいという動機も生まれやすく、下支えとなるなら合意が得られることもあるかと思います。

しかし、私にとって本書を読んでも何となくわからない部分があるのですが、この「何となく」は、単にユートピアなお話だと感じるからなのでしょうか。それとも日本にはこのような考え方が受け入れにくいのでしょう。

冒頭にも述べましたが、希望の党マニフェストといい、本書の新書といい、知的な遊びやガス抜き的な「流行」の匂いが漂うのです。