言葉のリバイバル (再上映)
言葉には不思議な作用をもっている。
あることがら(出来事)を示す時に「機械」に由来する言葉に頼ることがある。
それも聞く人から不思議と納得させられるように、もしくは、視界が開けるように感じるのである。
例えば、
遺伝子の「二重らせん構造」とは?
1,ヒトのDNAの生細胞中でとっている立体構造。(wikiより)
2,2対の「セキュリティ」構造。
1は状態の説明。2は機能の説明。
だが、2の記述によると、隠された「主体」が想起される。
誰がセキュリティとして活用するのか言葉に表していないにも関わらず、不思議とそうなんだ、と感じるのである。
機械的にして、神秘の技かのようである。
本当なのだろうかと知的関心を高める方向にも、もってこいの活用法である。
不可解な出来事に遭遇すると、この世の中の原理では適切に説明できないこともある。あるいは「まだ」見つかっていない原理がそれを可能にするかもしれない。「もう」見つかっているのに、誰もが忘れ去っているかもしれない。人がいるかぎり、言葉は尽くされ、再び世に出し、生まれ落ちる。
言葉のリバイバルを大切にしたい。